Nov 05, 2009

塾講師だった彼との結婚

初恋は実ないと言うが、私は初恋の塾講師の人と一年前に結婚しました。彼は年齢なので、学生時代は付き合っていることを隠していたのですが、それも今となっては良い思い出です。現在では小学校の教師をしているので、私とすると、そのロットなどを子供に聞くと、返答に困るようですが内に、自分の未熟な時代を知っている、かつて塾講師という存在が、夫になったことで、気楽な部分も多い、今は幸せです。
塾などに通う場合は、風邪などにかかってしまいどうしても行くことができない場合は、もちろん、欠席処理され、以降、サポートなどを与えるということはほとんどありません。この時点で、家庭教師なら、授業の代替が可能となっているところが圧倒的に多いです。家庭教師と、その企業は、授業料振替料金がかかることができるものと、開始する前に確認した方がいいと思います。
 ◇県内の有志が企画
 放射線を気にせず屋外で自由に遊んでもらいたいと、福島県内の3〜11歳の子供20人と保護者計32人を招待する企画が18日始まった。キャンプやテーマパークなど22日夜まで大分の夏休みを満喫してもらう。
 福島第1原発事故を受け、福島県内では屋外での体育や水泳の授業ができず、マスクや長袖を着るなど放射線の影響を常に気にしなければならない。そこで大分県内のNPO法人や由布市湯布院町の見成寺の住職ら有志が実行委員会を作り、フェイスブックで参加者を募集、中小企業や宗教者らの寄付で全額負担での招待が実現した。
 18日早朝、フェリーで別府港に到着した子供たちは高崎山で猿を見たり、うみたまごでセイウチやイルカのショーを楽しんだ。福島県白河市から娘とおいと来た原ひとみさん(38)は、「外で遊べない子供はストレスがあったが、大分に来てからは声も大きく元気になった」。おいの矢吹拓海くん(10)は「学校のプールもサッカーもできなかったから楽しい。ショーのイルカは迫力があった」とはにかんだ。【深津誠】

8月19日朝刊

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 和牛オーナー制度で資金調達して黒毛和牛の生産を全国展開し、9日、東京地裁に民事再生法の適用を申請した「安愚楽(あぐら)牧場」(栃木県那須塩原市)。県内でも直営が2カ所、預託が13カ所あることが県や東京商工リサーチへの取材で分かった。
 県畜産振興課によると10年11月現在、竹田、杵築各市の直営牧場で約3500頭。宇佐、豊後高田、国東、中津、杵築、玖珠の各市町の預託牧場で約5000頭。県内の肉用牛6万2500頭(今年2月現在)の14%にあたり、今後、牧場側が飼育頭数を減らすことになれば、飼料を提供している県内業者へのダメージは大きい。一方で牧場にいる牛は豊後牛のような県ブランドではなく、子牛も牧場間で融通していて、県内の生産農家からは購入していないという。
 金塚秀夫課長は「牧場の今後の方針が決まり次第、肥育農家の支援を検討したい」と話す。【土本匡孝】

8月19日朝刊

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 東日本大震災で被災した福島県いわき市の一家が、山北町内で暮らしている。津波で家を流され、祖父を失った上、放射能への懸念もあり、幼い子どもたちを連れて同町へ避難。町から住宅や仕事の紹介を受けた。生まれ育った同市内では住宅の再建もままならない。「帰れるのならば帰りたいが、今はまだ考えられない」。被災地の厳しい現実と、ふるさとへの思いのはざまで揺れている。

 山北町で暮らしているのは日向寺(ひゅうがじ)誠一さん(37)一家。祖母と両親、妻、3人の子どもを連れ、同町に移り住んだ。

 3月11日、津波は海岸から30メートルほどという自宅をのみ込んだ。建築会社を経営していた日向寺さん。仕事先から家へと戻ると、そこにあるはずの建物はなくなっていた。「惨憺(さんたん)たる光景」。祖父兼武さん(85)は、海の様子を見に行ったきり戻ってこなかった。

 住む家を失ったところに東京電力福島第1原発の事故が追い打ちを掛けた。自宅は原発から約30キロ。「生後3カ月だった長男をはじめ、子どもたちのことを考えたら少しでも遠くに行きたいと思った」。目に見えない恐怖に、いわきを離れることを決断。同月15日に大磯町の知人のもとに身を寄せ、約2週間後、山北町へと移り住んだ。震災当初のことを振り返り、「信じられないような出来事。今でも現実とは考えられない」という。

 町は空き家バンク事業を活用し、民間の一戸建て住宅を用意。6カ月間家賃無償で提供しているほか、ふとんや電化製品など生活用具一式もそろえた。仕事も、町内の金属加工業、ナス・産業足柄工場(同町谷ケ)を紹介、5月から勤務している。

 山北での生活は、食材を分けてくれたり、相談に乗ってくれたりと、職場や地域に支えられてきた。日向寺さんは「こちらに来てから、うれしいことだらけです」と話す。一方、郷里への思いも尽きることはない。いわき市の沿岸部は、いまだがれき処理が続き、復興のめどが立たないと知人に聞いた。仮設住宅の建設も遅れている中、住宅を新たに建て直そうにも、いつになるか分からないという。

 今後について「地元からは帰ってこいとも言われているが…」と複雑な表情。「今はただ」と続ける。「世話をしてくれた皆さんの恩に報いるため、精いっぱい働いていきたい」

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